対談 -めぶく-を巡る思想と実践
これから、このお弁当箱、そして漆林づくりと共に、様々な対話や対談が始まっていきます。
第1回は、このお弁当箱の仕掛け人であり、「生みの親」である漆とロック貝沼航と漆掻き職人/塗師の平井岳が、-めぶく-が生まれるまでの裏話や何故生み出したのかを語ります。この一風変わった漆器の誕生ストーリーをお楽しみください。
めぶくが生まれるまでのビハインドストーリー
(聞き手・ライティング:三山 星)
―今回そもそもこの商品の発想はどんなところから来たんですか?
貝沼:
私はこれまで20年ほど漆に関わる中で、「漆とはなにか?漆器とはなにか?」ということを自分に問い続けてきました。その問いへの答えの一つとして、2015年に生まれたのが「めぐる」という漆器ブランドです。持った時の心地よさや、何度もお直しをしながら次の世代に繋いでいけるという漆の魅力を詰めこみました。
一方でここ数年、さまざまな活動を通して、もう一つ表現したい漆の魅力があることに気づきました。それは、漆という素材が持つ、「時を超えた“護る力”の強さ」とも言えるものです。防腐・耐水性に優れた漆には、塗った中のものを保護する強い力があります。その強さは、縄文時代の漆製品が当時の輝きのまま出土するほどです。
僕はその姿を見て、漆はまるで時を超えるタイムカプセルのようだなと思ったんです。縄文人が器の造形に込めた、自然への祈りや畏敬の想いといったものが、現代の自分たちにまで届いているって、すごいことじゃないですか。
でも、そんな力を生み出す漆の木自身は、人の手が入らないと育たない植物です。にもかかわらず、漆の国内自給率は近年、わずか数%にまで下がってきています。
それで、もし人間が漆を植えて育てなくなってもウルシという植物を未来に繋いでいくためにはどうしたらいいだろう、ということを考えた時に、「そうか、植物にとっては“種”こそがタイムカプセルだな」と思ったんです。もちろん種にも寿命はありますが、会津でも平安時代のもみ殻から稲が発芽したという発見もあったりと、我々人間や動物にはない“時を超える力”を植物の種は秘めています。そこで思いついたのが、漆の種を、漆の塗料でコーティングして未来に託したいという案でした。
漆の種を仕込んだこのお弁当箱は、何度も直して、いよいよ使えなくなった時には、土に埋めてもらいたいと考えています。でも、それは科学的に種(しゅ)を保存するということよりも、数百年先の未来に願いを託すという、祭礼的な祈りであり、自然や生命というものに対する遊び心なんです。
今、僕らが縄文時代の器を見て、そこから色々なこと感じ受け取るように、未来の人がいつかこのお弁当箱から何かを受け取ってもらえたらいいなと思います。
―一方で平井さんは種を入れると聞いた時、率直にどのように感じましたか?
平井:
最初は「えーっ!」って思いました(笑)
一番は、技術的な心配でしたね。漆器に何かを埋める技法はあるものの、種を仕込むというのは見たことも聞いたこともなかったんです。完成品のイメージができなかったし、耐久性の面も気掛かりだったので、話を聞いた当初は本当に出来るのか自信がありませんでした。
でも、貝沼さんから「使えなくなった漆器や使う人がいなくなった漆器から、数百年後にウルシの芽がでたら面白くないですか」って話を聞いて、すごいなと。何度も直して使った漆器のその先、つまり、漆器の”終い方”まで考える発想が、僕にはないものだったんです。それで、じゃあ自分がやるか!という気持ちになりましたね。
―貝沼さんはどうして平井さんにお願いしようと思ったんですか?
貝沼:
自分でも、この企画は職人さんにとって無茶振りだっていう自覚があったんですよね。
でも、僕としては真剣に考えた企画。奇抜な思いつきではなくて、そこに込めた意味をしっかりと受け止めてもらいたいと考えていました。
そう考えた時、相談するなら、塗師でもあり、何より「漆掻き(うるしかき)職人」でもある平井さんしかいないと思いました。
また、彼とは「猪苗代漆林計画(いなわしろ・うるしりんけいかく)」という漆の木の植栽活動でもご一緒していて、木を育てる部分から漆に関わっている彼なら理解してくれるんじゃないかと思ったんです。
もっと正直に言えば、他の職人さんにはなかなか相談しづらかったというのもあります。実際に、平井さんからも「他の職人さんだったら怒られていたと思う」って言われました。(笑)
あとは何より、平井さん自身が会津で採った漆を、平井さんが塗っている、ということが、物が作られるメッセージとしてすごく力強いですよね。
―どうしてお弁当(信玄弁当)にしたんですか?
貝沼:
はじめはお椀というか、それこそ縄文時代に出土した器を模したような器づくりを想像していましたが、平井さんと相談していくうちに、アイディアが広がっていきました。
平井:
僕は器を作る時にまず、「どんなシチュエーションで使うか」、「何を入れるか」を想像するのですが、ちょうどこの話と並行して「猪苗代漆林計画」が進んでいたので、せっかくなら連動したらいいんじゃないかと貝沼さんとも話していて。それで思いついたのが、「猪苗代漆林計画」で植えた漆林に持っていって使えるもの——お弁当箱だ!というわけです。
お弁当箱にも色々ありますが、ちょうどお椀のアイディアを生かせる形の信玄弁当にたどりつきました。
貝沼:
その話をしていて、僕も「それだ!」となりましたね。まさに僕もお弁当箱を作りたいとずっと思っていたんです。
実は、うちの妻のおばあちゃんが昔使っていた信玄弁当が家に残っていて、奥さんからいつか作ってほしいと言われたことがあったんです。色々なことが繋がった感覚でした。
―試作開発で苦労されたところはどんなところですか?
平井:
オーダーを受けて作るのは初めての経験だったので、形をまとめて、木地職人さんにお渡しする設計図を作る工程はなかなか大変でした。
貝沼:
他の信玄弁当とも違う個性を出しながら、若い人たちも使いたくなるような形で、かつ、森の中に持っていって馴染むような方向で考えましたよね。
平井:
貝沼さんと僕の好みを擦り合わせるために、何度もやり取りをした記憶があります。その後、設計図で思い描いていた通りのものが出来上がってきた時はすごく嬉しかったです。
貝沼:
お弁当に種を仕込む段階でも、ものすごく試行錯誤していただきましたね。
平井:
どのくらい種を”見せる”かというところですね。
種の仕込みは、木地にあらかじめ穴を設けておいて、そこに漆製の粘土のようなものを詰めて、種を埋め込むという方法で行います。埋め込みすぎると全く種が見えないし、浅すぎると使っている時に取れてしまう可能性が高くなるんですよね。この埋め込み具合の調整は非常に難しかったです。
―この信玄弁当は今後、どのように広がっていくのでしょうか?
貝沼:
僕たちの活動の一つである「猪苗代漆林計画」と連携しながら、このお弁当箱が、漆という素材への理解や、国産漆を育てる活動への応援の、象徴的な存在になったらいいなと思います。
ウルシの植樹祭やツアーイベントなどの時、僕らの漆林に信玄弁当を持って集えたらすごく素敵ですよね。ごはんとおかずはそれぞれ持ってきてもらって、こちらで用意しておいた豚汁やお味噌汁をその場でよそって食べたり…という未来を思い描いています。
平井:
僕としては、お弁当箱だからこそ広がるアイディアがあると思っているんです。たとえば、漆の木は、漆液を取り終えると切り倒してしまうのですが、その木を草木染めの材料にして、巾着袋を作ったらどうかなと考えています。漆の木を使うと、黄色に染まるんですよ。
貝沼:
今は漆の種をお弁当箱に仕込んでいますが、将来的には他の種も一緒に入れられたらいいなと考えています。「猪苗代漆林計画」の仲間、伝統野菜農家の土屋勇輝さんが育てる古来種野菜の種を入れるアイディアもあるんです。「猪苗代漆林計画」では、ただ漆の木を育てるということではなく、それを通して広がる輪や、未来に想いを託すことを大切にしています。お弁当箱も、より僕たちらしい形で進化させていきたいですね。
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